| 文化財解説文 | 小足掃部(直氏)像は白地に黒の亀甲つなぎ模様の小袖に緑色の袴姿で、右手に数珠を握り、左手を足の上に置く。袖には四ツ目結の家紋を異例なほど大きく据える。肩衣は肩先に襞をとらず皺を寄せ、慶長末から元和期にかけての特徴を示す。上部賛文によれば、元和8年(1622年)に預修のため肖像を描かせたとある。小足氏は近江佐々木一族で、京極家家臣。主家が、関ヶ原の合戦時に大津城に籠城して、西軍を足止めした功績により若狭国を拝領したことに伴い、同氏も小浜に居を構えたのだろう。『拾椎雑話』には、妙興寺方丈は小足掃部の居宅を取りたてたものとあり、同寺開山堂の傍らには小足掃部尉承光が寛永6年(1629年)霜月に寄進した題目笠塔婆が立つ。
一方、妙春像は法華経、扇、数珠を置いた経机を前にして両手で経巻を広げている。像主は紅地に金泥と松葉を散らした小袖の上に、白地に細い赤色の筋を重ねて格子模様にした小袖を羽織る。前髪を覆って後ろで結ぶ頭巾はこの頃の風俗である。上部賛文の冒頭によれば、元和4年の没後の肖像である。同じく賛文には江州浅見氏の一族とある。浅見氏は尾上浜(滋賀県長浜市湖北町尾上)を本拠とした武士で、江北の武士を動員した慶長5年(1600年)の大津籠城衆の中にも浅見氏がいる。 掃部像は元和8年の寿像、妙春像は同4年の遺像で絵師も違うが、両家の経歴から二人は夫婦であろう。 妙興寺は、後瀬山と号し後瀬山西側の山裾に所在する日蓮宗寺院である。永仁2年(1294年)日像の創建と伝える。 |
|---|---|
| 画像 |
|
