
文化財解説文 | 羽賀寺の3点の和楽器は、仏事・神事等で雅楽を奏でるためのものである。銅製の鉦の上部には「若州羽賀寺応仁元年一月口」の紀年銘があり、製作年が応仁元年(1467)と明確である。鉦以外の部分(輪台と火焔飾り)は唐草文を施すが、その上に上塗りによる彩色が施されている。鞨鼓の胴部には宝相華文様が、皮面には青・黄・赤の三つ巴文が施されるなど華麗な装飾がみられる。皮面裏には「小野寺持」等の墨書があり、かつては遠敷郡太良荘の小野寺に伝えられたものであることがわかる。太鼓の胴部内側には、元禄年間(1688~1703)の張替をうかがわせる墨書が一部確認できるため、皮面に施されている蓮弁などの彩色はその頃かそれ以降のものであるが、胴と金具の形態から、太鼓の製作年代は室町時代後期ごろまでさかのぼる。
「羽賀寺年中行事」(羽賀寺蔵、県指定文化財)には、天文8年(1539)に敦賀気比社の社人が羽賀寺に楽の稽古を希望し、それに応えて羽賀寺僧7名が敦賀に赴き楽を教えたという記事や、天文年間(1532~54)における西津の諸堂の仏事での管弦の記事が見え、羽賀寺が高い管弦の技術を有していたことが知られる。これら楽器類は、中世の地方寺院における高い芸能文化を示す工芸品である。 |
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