名称 | 清原宣賢卿墓所 |
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よみがな | きよはらのぶかたきょうぼしょ |
指定区分 | 県指定 |
種別 | 記念物 史跡 |
時代 | |
所有者所在地 | 福井市徳尾町 |
所有者・管理者 | 禅林寺 |
員数 | |
指定年月日 | 昭和32.7.30 |
指定番号 | 福井県第78号 |
構造形式・法量 | |
公開状況 | |
交通案内 | |
公式リンク |
文化財解説文 | 清原宣賢は、吉田神道家の吉田兼倶の3男として文明7年(1475)に京都で生まれ、明経博士清原宗賢の猶子(ゆうし)となって、日本書紀、職原抄等の国書や論語、大学の儒書などを講じ、家業を継いだ。宣賢は、天文10年(1541)から同16年まで越前の朝倉氏に身を寄せ、一乗谷で講義を続けた。天文19年再びこの地を訪れたが、7月12日、76歳で没し、禅林寺に葬られた。 平入厨子は後世補修されたものだが、高さ40cmの五輪塔を収め、横に墓碑が立っている。 |
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