
名称 | 新田義貞公墓所 |
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よみがな | にったよしさだこうぼしょ |
指定区分 | 県指定 |
種別 | 記念物 史跡 |
時代 | |
所有者所在地 | 坂井市丸岡町長崎 |
所有者・管理者 | 称念寺 |
員数 | |
指定年月日 | 昭和34.9.1 |
指定番号 | 福井県第88号 |
構造形式・法量 | |
公開状況 | |
交通案内 | |
公式リンク |
文化財解説文 | 墓所は時宗称念寺の境内地に所在し、石柵で囲われている。墓地には、天保8年(1837)新田義貞公500回忌に際して福井藩十代藩主松平宗矩が建立した五輪石塔が備わっている。 新田義貞は、延元3年(北朝:建武5年(1338))藤島庄燈明寺畷(なわて)で戦死したが、敵の足利(斯波)高経は、遺体を輿に乗せ、時衆(時宗の僧)をつきそわせて、葬礼のため往生院へ送るようとりはからったと伝えられている。往生院は長崎にあったとされ、現在の称念寺がこれにあたると考えられる。 なお、新田義貞が戦死したとされる場所(福井市新田塚町)は、史跡「燈明寺畷新田義貞戦没伝説地」として指定されている。 |
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