文化財解説文 | 本図は、名田庄内の曹洞宗寺院を中心に行われている懺法講の本尊として用いられていたものである。千手観音と二十八部衆を一幅に描く画像はあまり例がなく、とくに『法華経』普門品が説く三十三身像を光背に描き出した例は他にはない。
この図像は、妙法院三十三間堂の本尊に見られるものであるが、名田庄は正嘉2年(1258)に蓮華王院(妙法院三十三間堂)の荘園となっており、本図が建長元年(1249)の焼失後、およそ15年かけて再造された三十三間堂の本尊を写したものであることは、本尊の印相、光背の形式、三十三身像の併置からみて、間違いないと考えられる。本図の制作年代を明らかにする資料はないが、本尊の容貌や二十八部衆の画風からみて南北朝時代の作と考えられ、名田庄がかつて天台宗蓮華王院の支配下にあった歴史を物語る貴重な画像である。 |
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