
文化財解説文 | 福井藩の蘭方医(らんぽうい)笠原白翁(かさはらはくおう)が所用した、江戸時代末期のカメラである。 文久3年(1863)、美濃国の写真師が福井に持ち込み 、 昭和30年(1955)に笠原家より福井市立郷土歴史館(現福井市立郷土歴史博物館)に寄贈され、現在に至る。本体は木造で、朱漆塗りの前面にレンズ(2枚レンズを取り付ける。前面に唐花唐草文(からはなからくさもん)、側面に 唐花文(からはなもん)、上面蓋に 雷文(らいもん)などを彫り 、黒漆 で下塗りした後に朱漆を塗って堆朱風に仕上げる。 鏡筒(きょうとう)は 銅板製鍍銀(どうばんせいとぎん)で、レンズを固定する内筒と、有線七宝(ゆうせんしっぽう)を施した外筒からなる。レンズ の かぶせ蓋にも 有線七宝 を施し 、焼いた後に研ぎ上げることをせず、 釉(うわぐすり)の面の 凹凸(おうとつ)をそのまま残すのを特徴とする。類似した仕様の写真機は、国内で4台が確認され、うち3台が現存するが、七宝細工を施し、2 枚レンズの構造 を有するのは 本機のみの特徴である 。江戸時代末期の国産写真機と考えられ、福井藩における洋学、西洋技術の移入など、福井県の歴史文化を語る文化財として価値は高い。なお、類似する写真機が戦前には「堆朱カメラ(写真機)」と呼ばれ てい た歴史的な経緯があり 、 本機も 「堆朱カメラ」としての呼称が定着しているため、今回の指定名称にもその呼称を残している。 |
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