名称 | 大音家文書(五千七百四十六通) |
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よみがな | おおおとけもんじょ |
指定区分 | 国指定 |
種別 | 有形文化財 書跡・典籍・古文書 |
時代 | 鎌倉~明治時代 |
所有者所在地 | 若狭町 |
所有者・管理者 | 個人(若狭歴史博物館寄託) |
員数 | 49巻、2帖、576冊、2903通、7鋪、81綴、515枚 |
指定年月日 | 令和2.9.30 |
指定番号 | 文734号 |
構造形式・法量 | |
公開状況 | |
交通案内 | |
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文化財解説文 | 大音家文書は、常神半島に所在する神子浦(みこうら 現 三方上中郡若狭町神子)の大音家に伝来した文書群であり、中世から近代までの文書が、ほぼ途切れることなく豊富に伝来する全国屈指の浦方文書(うらかたもんじょ)である。
大音家は、近江国(おうみのくに)伊香郡(いかぐん)大音(おおと)(現 滋賀県長浜市木之本町大音)に鎮座する伊香具社(いかぐしゃ)神主家(かんぬしけ)伊香氏に出自を持つ。大音を名乗り、鎌倉時代には近江国の御家人であったと考えられており、南北朝時代までに若狭国三方郡(わかさのくにみかたぐん)御賀尾浦(みかおうら)(近世の表記は神子浦)を訪れ、当地の刀祢家(とねけ)と合体して、御賀尾浦刀祢職(とねしき)を世襲したと想定されている。中世文書は約300点を数え、御賀尾浦が若狭国倉見荘(くらみのしょう)に属した関係から、当荘地頭(じとう)二階堂氏(にかいどうし)や地頭代(じとうだい)の発給した文書が多い。また、近隣村との山相論(やまそうろん)、網場相論(あみばそうろん)に関する文書もまとまっており、当地の生業を知ることができる文書なども残る。 近世には、当家が神子浦の庄屋役を務めたため、年貢関係をはじめ、浦の財政や運営に関わる公的な文書が豊富である。また、神子浦が常神半島に位置し、当家が浦の大網(おおあみ)を差配する立場にあったことから、漁業関係文書も多い。 中世から近代まで続く漁村の歴史や流通の実態を知るうえで重要な漁村文書であり、社会経済史研究上においても極めて貴重な文書群である。 |
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