名称 | 燈明寺畷新田義貞戦没伝説地 |
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よみがな | とうみょうじなわてにったよしさだせんぼつでんせつち |
指定区分 | 国指定 |
種別 | 記念物 史跡 |
時代 | |
所有者所在地 | 福井市新田塚町 |
所有者・管理者 | 福井市 |
員数 | |
指定年月日 | 大正13.12.9 |
指定番号 | |
構造形式・法量 | |
公開状況 | 見学自由 |
交通案内 | 八ツ島駅より 徒歩7分 |
公式リンク | http://fukuisan.jp/ja/list/p001016.html |
文化財解説文 | 「太平記」(巻20)によると、暦応元年(1338)、新田義貞は藤島城の救援に向かおうとして燈明寺畷付近で、足利方の黒丸城の斯波高経軍と遭遇し、乱戦の中戦死したという。明暦二年(1656)この付近の水田から偶然農夫がかぶとを掘り出し、当時の藩軍学者井原番右エ門が、これを新田義貞のものであると鑑定したことから、この地が義貞の戦没地とされるようになった。万治三年(1660)福井藩四代藩主松平光通(みつみち)は、「暦応元年閏七月二日 新田義貞戦死此所」と彫った石碑を建立、石玉垣をめぐらし、社殿様の覆舎を造った。このことから、この地は「新田塚」と呼ばれるようになった。 |
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