福井の文化財cultural assets

文化財詳細

文化財詳細
金ヶ崎城跡
名称 金ヶ崎城跡
よみがな かねがさきじょうあと
指定区分 国指定
種別 記念物 史跡
時代
所有者所在地 敦賀市泉
所有者・管理者 敦賀市
員数
指定年月日 昭和9.3.13
指定番号
構造形式・法量
公開状況 散策自由
交通案内 敦賀ICより
車で10分

JR敦賀駅より 「ぐるっと敦賀周遊バス」で約8分 「金崎宮」停留所下車
公式リンク
文化財解説文 敦賀市北東部に位置する山城で、天筒山から北西に延びる尾根上にある。金ケ崎城が歴史的舞台になったのは、いわゆる南北朝期の金ケ崎城合戦である。延元元年(=北朝:建武3年(1336))10月、後醍醐天皇は足利尊氏方と講和したため、新田義貞は皇太子恒良(つねよし/つねなが)、皇子尊良(たかよし/たかなが)両親王を奉じて金ヶ崎城に入り、足利軍を迎え奮戦した。しかし、戦況が不利になり、義貞は金ケ崎城を脱出して杣山城へ赴いた。翌年三月には足利軍の攻撃の前に金ヶ崎城は落城し、恒良親王は捕らえられ、尊良親王、新田義顕(義貞の長男)等は自害したのである。また、戦国期においては、織田信長軍と朝倉・浅井軍が戦った城でもある。城の主要部は現在金ヶ崎宮の境内に属し、その背面の高いところには城戸や堀、月見御殿跡などがある。
一覧へ