
名称 | 興道寺廃寺跡 |
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よみがな | こうどうじはいじあと |
指定区分 | 国指定 |
種別 | 記念物 史跡 |
時代 | |
所有者所在地 | 美浜町興道寺 |
所有者・管理者 | 美浜町 |
員数 | |
指定年月日 | 平成30.2.13 |
指定番号 | |
構造形式・法量 | |
公開状況 | 散策自由 |
交通案内 | 若狭美浜ICより
車で10分 |
公式リンク |
文化財解説文 | 平成14年(2002)度から美浜町が実施した継続的な発掘調査で、金堂、塔、講堂、中門などの主要伽藍の状況と寺域などが明らかになった。また、寺域を限る溝等の発掘により、その規模は西端付近で南北約118m、東西約80mと推定された。金堂、塔の造営は7世紀後半から8世紀前半、講堂は8世紀中頃の建立で、その後、8世紀後半以前に塔の建て替えが行われ、8世紀後半~9世紀後半には金堂の建て替えと中門・南門が建立されるという伽藍造営の過程と変遷が明らかになった。興道寺廃寺は、7世紀後半に若狭国三方郡の有力氏族により建立されたと考えられるが、この時期は全国規模で郡司氏族による寺院造営が活発化したことが知られており、興道寺廃寺は北陸において当時の実態が判明した数少ない寺院の事例である。また、創建から廃絶に至るまでの伽藍の変遷が明らかになった希少な事例であり、古代寺院造営の在り方と、郡司氏族による仏教信仰の展開を知る上で重要である。 |
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