
名称 | 絹本著色 打它宗貞像 |
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よみがな | けんぽんちゃくしょく うたそうていぞう |
指定区分 | 県指定 |
種別 | 有形文化財 絵画 |
時代 | 江戸時代(17世紀) |
所有者所在地 | 敦賀市 |
所有者・管理者 | 個人 |
員数 | 1幅 |
指定年月日 | 令和3.9.7 |
指定番号 | 福井県指定第469号 |
構造形式・法量 | 縦86.5㎝、横32.5㎝ |
公開状況 | |
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文化財解説文 | 近世を通じて敦賀の町人のうち、もっとも家格が高いと称された打它家の祖、打它宗貞の肖像画である。宗貞は大名との取引も行う豪商で、小浜藩主であった京極家や酒井家から禄を賜って敦賀代官役も勤めた。
本図は、精悍な相貌の表現に卓越したところがあり、肖像画として優れた出来栄えだが、落款(らっかん)を欠き筆者は不明である。像容は、剃髪して首に掛絡(から)を掛け、右手に払子(ほっす)を持ち、左手に数珠を提げて上畳(あげだたみ)に安坐する。腰刀が目立つように差し込まれており、俗人であることを強調している。服装の描写も精緻で、薄青色の小袖の下には内衣(ないえ)を重ね、上には墨染、薄物の羽織を着ている。 上部には宗貞が世を去った寛永20年(1643)の翌年5月に、三江紹益(さんこうじょうえき)という禅僧によって書かれた賛がある。同僧は豊臣秀吉の正妻、北政所(きたのまんどころ)が建てた高台寺(こうだいじ)の住職を務めており、北政所の生家である木下家の菩提寺の住職でもあった。 江戸時代初頭における豪商の肖像画は全国的に見ても伝存例が少なく、貴重である。 |
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